若者はなぜ3年で辞めるのか? 城繁幸

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 06年出版
この本は年功序列に対する批判本である。40万部のベストセラーになった本である。
著者は城繁幸(じょうしげゆき)
1973年生まれ。現在40歳くらい。東大法学部卒業後、富士通入社。人事部門にて、新人事制度導入直後からその運営に携わる。04年に退社後出版した「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」がベストセラーになる。人事コンサルティング「Joe’s Labo」代表。人事制度、採用等の各種雇用問題において、「若者の視点」を取り入れたユニークな意見をメディアに発信している。雇用の流動化、職務給化による「同一労働同一賃金」の実現を主張していて、以来ずっと似たような本を出版しているようだ。
この本を読んで改めて思うのは、若者も一致団結して自分たちの立場を主張し、利益を守っていかなければいけない、ということ。確かにお年寄りは多い。数では勝つのは難しいかもしれない。だけど、若者が主張をやめてしまえば、政治は票集めのために老人に優しい政策ばかりを採り続け、若者は今後も搾取され続けてしまう。
世の中を支えているのは若者たちなのだ。どうして、働きもしない老人達のために自分たちが犠牲になる必要があるだろう。老人たちは日本の未来のために自分を多少犠牲にする必要がある。でなければ、国力は弱くなり続け、若者は疲弊し、結局のところ、老人達を養っていく力そのものが失われていくだろう。
日本の悪習、最たる例が終身雇用、年功序列制度だと本書では言っている。
なぜ、年功序列が悪か。
それは年功序列がねずみ講以外の何者でもないからだ。
年をとれば自動的に出世するのが年功序列。
しかし、組織というのはピラミッド、階段を上がるにつれて、ポストは少なくなっていく。
普通に考えて組織に全員が残り続けていたのでは年功序列が維持できるわけはない。
高度経済成長時代は、常に会社は成長を続けていた。だからこそ、年を重ねて上の段にあがっても、
全ての人にそれなりのポストをあてがうことが可能だった。
しかし、組織の成長が止まり、停滞局面に入った現在はどうか。
ちょっと考えれば明らかなように、年功序列が維持できるのは、現時点ではたくさんのグループ会社を傘下にもつ大企業くらいのものだ。大企業ならピラミッドからあぶれても、その下の子会社、関連会社の主要ポストに天下ることができる。
もちろん、上からたくさんのおっさんが降ってくる子会社では、主要ポストはみんな親会社の人間が占めるようになり、
子会社に入社し、日々頑張っている若者たちはある程度いったところで出世がストップとなる。
最後にはピラミッドの下層にいる人たちが損をする仕組み。これがねずみ講でなくてなんだろう。
一つの組織でも同じ、昨今成果主義が導入されたとはいえ、それは、同じ年齢の層の中で、誰が一番早く一つ上の層に進めるかを決めるためだけのもの。決して、二段とび、三段とびができる仕組みにはなっていない。
結局上の層から順々に出世していくのが年功序列制度であり、成長が止まった組織では上が閊えていて、若者たちは階段を登ることさえ難しくなっている。
一度、大企業に入れば安泰だと思われている時代があった。
大企業の若者には、入った途端に自分の人生が見えてつまらないというものがいる。
しかし、そんなに生易しいものではない。
今、役員、部長、課長になっている人たちと最低同じようなレールを辿っていけると思うことすら間違っている。
もはや、成長の止まった組織では、そのようなレールを進むことすら激しい競争に勝った一部の人間だけが手に入れられる厳しい道のりなのだ。
大抵の、普通の若者は、搾取され、低い賃金でこき使われ、働かせられて終わりだ。
おっさんたちは大して仕事もしておらず、価値も生み出していないくせに偉そうにふんぞり返って何倍もの高給を受けとる。
今の頑張りは将来の出世と給料として返ってくるから頑張れと、何の明確な保障もなく若者を働かせるのが年功序列という制度なのだ。
この制度が生き残っていくためには、ピラミッドを小さくするしかない。
そこで導入されたのが派遣社員だ。
ピラミッドを小さくすれば正社員はなんとかレールを進んでいける可能性が高まるだろう。
だけど、それはさらなる弱者を食い物にして、身内をかろうじて守っているだけにすぎない。
老人たちと若者、そして正社員と、派遣社員の所得格差はさらに拡大していく。
年功序列とはとても残酷な制度だ。
職務給と職能給の差についての説明は欧米企業と日本企業の差を明確にしている。
職務給は担当する職務内容によって給料を決めるシステムで欧米で一般的な給与制度。
給料は能力が軸であり、年齢は関係ない。
仕事内容が給料を決めるため、誰が何をするのか、その切り分けが非常に明確になされている。
一方、職能給は勤続年数で給料を決めるシステム。
みんながみんな横一列で毎年少しずつ給料が上がっていく。
このシステムの特徴は、業務の切り分けが極めて曖昧な点。
誰が何の担当で、どこまでやったらいいのか、非常に見えにくい、というか決まっていない。
時代によって業務は変わるのに、組織の序列が不変だから、各人の担当が流動化しなければならないのが理由である。
担当が決まってないから全部やらなきゃいけなくなって、残業が増えるのも日本企業の特徴だ。
欧米では業務が変わったら、必要のなくなった人材はその組織を去るだけである。
読んでいて、改めてほとほと日本企業がいやになった。
日本では「権限を持つ人間が、年齢という基準だけで決められてしまう」のだ。
つまり、どんなに優秀でも、能力を持っていても、面白いことができるようになるには、
数十年を耐えなければならないのが日本企業の特徴なのだ。
もちろん、今の時代では数十年耐えたところで、機会を与えられないまま一生下層で終わる可能性も充分にある。
やりがいもなければ、給料も低い、将来に夢を抱けない若者は結婚して子供をつくることも難しくなった。
やりたいこと、夢に描いた仕事を、実際にやれるようになるまで数十年の我慢をしなければならない世界。
これが日本である。
しかもそれすらできる可能性が薄くなっているのが日本である。
僕たちはこうした年功序列制度にうまく収まるように教育されてきた。
小学校、中学校、高校、大学と「どんな問題も必ず正答が一つだけ存在する」ような勉強ばかり詰め込まれ、それによって順位付けされ、創造性を失い、何の疑問も抱かずレールをせっせと歩む軍隊アリにふさわしい人間に育てられてきた。
これによって量産されたのは「与えられるものはなんでもやれるが、特にやりたいことのないからっぽの人間」だと筆者は断言している。
今の若者の半数以上の将来の夢は、公務員だそうだ。
僕たちは、自分たちの生き方を取り戻さなければならない。
何のために生きるのか、
自分は何をして生きていきたいのか、
それをしっかりと考えなければならない。
そして、いつのまにか乗っかってしまっていたレールから降りる勇気を持たなければならない。
軍隊アリも一つの人生だ。だけど、それ以外にもたくさんの人生がこの世の中にはある。
そして、大勢で規律正しくブレなく動いた組織が勝てる時代は終わってしまった。
創造的なアイデアを持ち、柔軟に行動できる個人の集まりが表にでる世の中がくる。
本書は、改めて、日本企業の実態と、レールの危うさ、これからの世代の歩むべき道を再認識させてくれた良書だ。
これだけは間違いない。
われわれは、終わった時代の老人達を養うための奴隷として存在しているのではない。
われわれは、次の時代のために産まれてきたのだ。
そのことに気づき、3年で辞めた若者たちが活躍できる世の中を作っていこう。

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