転がる香港に苔は生えない 星野博美

ある日、ブログのコメントにこの本の名前だけ書かれてた。
誰かが紹介してくれた本。
このブログにコメントを書いてくれる人なんて滅多にないから、ずっと気になってて、
そんでわざわざ香港から通販で買って、日本から送ってもらって、ようやく手に入れた。
日曜日まる一日、ほとんど外出せずに部屋に閉じ籠もって読んだ。
その誰かわからない人は僕の日曜日をたった一行で奪っていったことになる。
有難うございました。
とりあえず、表紙にムカつく顔のお兄ちゃんが載ってて、
きっとこのチャラチャラした人が作者なんだろうと思っていた。
香港のことを書くなんてどうせ男に決まってるという先入観。
見ただけであんまり読む気がしなくなる表紙。
なので、手に入れてからページを繰るまで結構時間がかかった。
何日かたって、数ページ読み始めて、書いている人がどうやら女だということに気づき始める。
そしたらムカつく兄ちゃんが肩組んでいるもう一人の女の人が作者なのか?
と疑問に思った。でも香港人っぽいからそうは見えないし。
未だにこの謎が解けないので誰か知ってたら教えてほしい。
読んで、はじめに思ったこと。
僕は、何年も住んでたのに香港のことを全然知らなかったんだなあ。
この狭い大都会、800万人の人が同じ空間を共有して、生きている。
そこには多種多様な人種、出身、ステータス、思想の人がいる。
彼らの人生は同じ空間を共有しているのに、ほとんど混じり合うことがない。
そのことがとても不思議に感じた。
この香港にはいろんなひとが生きていて、でも僕はその人たちのことを知らない。
もっと知りたいと思った。
星野博美さんは返還の1997年前後2年間ほどを、香港で暮らしていた。
彼女が選んだのはサムスイポーという下町だった。
ここは、低所得者が集まる街であり、今の香港でもそう。
ようは、資本主義社会そのものの香港で底辺に生きる人たちが集まる場所。
そこから彼女が見上げる香港の街は、僕が見てきた香港の街とは全然違っていた。
結局、Facebookの友達の数をみてもわかるように、人が生きていくうえで付き合う必要のある人なんて、
実はたかが知れている。
せいぜい数百人だ。
それは、800万人の大都会では1万分の1、パーセントで0.01%以下のことしか知らないということ。
この本には、知り合いが数人しかおらず、乗り物に頑なに乗らず、徒歩圏内で生活しているおばさんが登場する。
あまりにも違う行動範囲に愕然とするけど、それですら生きていけるのが都会だ。
思えば、10年近く住んでいた東京のことを僕は何も知らない。
同じ場所にいるのに、人はあまりにも住む世界が違いすぎる。
僕はたぶん一生住んでても東京のことは語れないし、香港のことなんかもっと語れない。
だから、ほんの数十人しか登場人物のいないこの本が、香港を語れているとは思わない。
でも、そこには僕の知らない数十人の人生があった。
最低の所得で、最低の生活をしている人達。
虐げられて、夢をみることなんて絶対できなそうな人達。
負け組。
逆に言えば、金持ちを支えている資本主義の奴隷。
彼女が興味を持ち、交流したのはそういう人たちだった。
彼女自身が、大した所得を持たないフリーターだったから、そういう世界に入らざるを得なかったということもある。
でも、彼女自身が敢えてそれを望んでいたように見える。
狭いマンションの一室を、さらにいくつもに区切り、その狭い檻の中に暮らす人たち。
生きていくのに精いっぱいで、起きて働いて、食べて、出して、眠るだけの人たち。
健康で文化的な最低限度の生活が香港ではあまりにも低すぎる。
阿強という、名門大学を出た香港人が登場する。
彼は、不安定な香港の生活から外国の居住権という保険を得るためにカナダに渡り、
そしてまともな生活に就けず、負け組の中に入っていた。
香港のローカルカフェで、「君はこんな人間たちと話ができればそれで満足なんだ」とその人は博美さんを蔑む。
その言葉は、無意識のうちに自分が行ってきたことそのものだった。
僕は自分と同じ世界の人とばかり付き合って、そういった自分の利益にならなそうな人たちとは、
付き合おうとしてこなかった。というか、すぐそこにいるのに眼中にすら入っていなかった。
結局自分が居心地のいい世界にいて、綺麗ごとを言っているだけだったと自覚した。
香港は移民の街。
そこに住む人の誰もが、もとからそこにいたわけではないし、ずっといないかもしれない街。
資本主義の街。
夢のために頑張って、夢をつかんで、そして出ていくべき街
その場所は永遠ではない。
だから「転がる香港」
移動することを宿命づけられた人たちと、帰る場所のある日本人。
香港人はすぐ転職ばかりするけど、そういうのも、
こうした世界の違いが価値観の違いとなって表れている一つの例なのだと知った。
1997年と比べて香港は変わったのか。
当然、変わった部分もあるし、変わってない部分もある。
でも、博美さんが言うように、香港らしい濃い部分は次々に破壊されて、
どんどん、色の無い街に変わっているように思う。
彼女の言うように、観光資源を絶滅させて香港は突き進んでいる。
それが香港らしいとも言えるけど、やっぱり寂しい気もする。
九龍城塞、国民党村・調景嶺、啓徳空港、喧噪の廟街、アバディーンの水上生活者、等々、、
こんなものはもう無い。
たぶん香港に関して言えば、こういった古いものに感傷を抱くことは間違っているんだろう。
実は人も変わってる。
今の世代は博美さんが語るほど、脱出したがっているわけでもない。
中国の影響は強まっている反面、返還から時間が経ち、人は香港人として定住しつつあるように思う。
沢山の外国帰りの香港人の友人が僕の周りにいる。
むしろ成長を続ける今の香港は出てくべき場所ではなく、積極的に来る場所になってきてる。
それでも、ずっとこの場所に居たいかと聞かれると、
やっぱり香港は人生の一時を過ごすには面白いけど、死ぬまで住むべき場所ではないとは思う。
最低限の生活をしている人は減っているんだろうか。
その辺はわからないけど、まだまだ香港は低所得者が多いみたいだ。
金が無いと惨めになる街。
東京では、まだお金が無くても楽しく、尊厳を失わずに生きていくことができた。
香港では金が全て。
無ければ存在すら否定される。
資本主義そのもの。
ここで成り上がるのは全然簡単なことじゃない。
戦いに加わりたくなければ、はじき出されるだけ。
そんなシビアな香港が面白い。
新年のあいさつ「恭喜發財」が全てを語る。
直訳は「お金がたまりますように!」
ただ、博美さんは言っている。
こんな香港よりも、東京のほうが寂しいと。
ここは厳しいけど、それでも人をこの場所に繋ぎ止めてくれるのは、
どんなに資本主義になっても、消えてなくならない、人の温かさがここにあるから。

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コメント

  1. 永田叡吾 says:

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    初めまして。身内の本棚を見てたら、星野博美さんの「愚か者中国を行く」という本を見つけました。前書きと後書きで、面白そうと思ったのですが、2008年発行時点で、20年前の話です。あまりに古いしどうしようかなあと思っています。

  2. ひろくん says:

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    永田叡吾さん
    コメント有難うございます!
    中国について書かれた本って意外と少ないです。
    しかも、現地に密着した身近な目線で書かれた本はホントに少ない。上に、書かれたものがあっても結構年輩の人が書いた書物ばかりで面白みがない。
    そういった意味で、星野さんの作品は異色であり、面白いです。
    僕は読んだことがないのですが、20年前と今を比較するうえでも持っていたら読んでみたいですね。

  3. 永田叡吾 says:

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    お応え、ありがとうございます。現在の中国も良く知らないので、30年前の中国のことを読んで混乱しないかと思いました。内容は面白いようですが。
    香港では金がすべてですか。どこも、金がすべてになっていくんですね。

  4. ひろくん says:

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    永田叡吾さん
    30年前とは全然違うので、違う国だと思って読んだ方がいいかもしれませんね。
    金はどこにいっても人間の関心事の大部分を占めています。
    でも、それが香港ではさらに顕著です。
    むしろ香港が世界で一番金金金な場所の一つと言い切っていいと思います。
    移民が作り上げた稼ぐための街が香港ですから。
    でも、香港に住んでいても、
    金では無いものを大切にして生きていきたいです。

  5. ひろよしだ says:

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    ご連絡くださりありがとうございます。
    僕も好きで、香港に来た色んな人にお勧め本として貸しています。
    ああいう現地に密着した本って、なかなかないですよね。