この本について僕の考えは纏まっていない。
そういう生き方もあるのか、という新しい気づき。
ただ、それをどう解釈して、どう意味付けして、果たして何か僕の生き方に取り入れられるかというとまだよくわからない。
著者のマーク・ボイルさんは1979年生まれ。今は37歳くらいだろうか。
アイルランド生まれ。経済学を大学で学んだあと渡英。
オーガニック食品業界を経て、2007年、27、28歳くらいの頃、フリーエコノミー(無銭経済)運動を始める。
2008年から一年間、お金を一切使わずに暮らす実験を敢行。
これで一躍脚光を浴びることになる。
世界には同じような生き方をしている人は少なからずいるんだろうけど、この人は自分の主義思想について、
アピールの仕方が旨かった。
この本は、その一年間の記録。
中身を読まない人は、結局本を売って金を稼ぐんかいと笑話に使える。
本の中に、この本で得た収益はフリーエコノミー・ビレッジの立ち上げに使うと書かれている。
金が支配する世の中で、ある程度は金と折り合いをつけずに、目的を達成することは難しい。
フリーエコノミー・ビレッジ設立は、必要なインフラ準備になるべくお金をかけず、
その土地で手に入るもの、人を最大限に活用すると言っている。
移行期間が過ぎたら、お金は一切使わない。
コミュニティーの核となるのは、
食、友情、遊び、たき火(??)、採集、音楽、ダンス、アート、教育、気配り、資源とスキルの分かち合い、
経験、尊敬、そしてゴミあさり
だとのこと。
彼はこの実験の前に、フリーエコノミーコミュニティーというWebサービスを立ち上げた。
本が刊行された時点では、160か国3万4843人が参加。
46万1766種類のスキル、9万5088個の道具、554か所の空間を分かち合ったという(2011年10月末)
しかし、ここで紹介されたサイトに足を運んでみてもその痕跡は今はもう見つけられない。
途中で、サービス自体が破たんしたのか、限界があったのかは知らないけど、終わったらしい。
http://www.justfortheloveofit.org/
最近のマーク・ボイルさんが何をしているのかは良くわからない。
少なくとも見つけられた最新の記事はこちら。
Can you live without money? Lily Cole meets the “Moneyless Man”
2015年4月22日の記事だから、まだ最近も同じような活動を続けていることが伺われる。
フリーエコノミー・コミュニティーの活動は、他のプロジェクトに吸収されたと述べられている。
Impossible https://impossible.com/
Streetbank https://www.streetbank.com/splash?locale=en
Couchsurfing https://www.couchsurfing.com/
Freecycle https://www.freecycle.org/
などの活動が取りあげられている。
フリーエコノミー・ビレッジの名前はAn Teach Saor (Gaelic for “The Free House”) に決まったみたいだ。
場所はアイルランドらしい。当初はイギリスだったはずだけど、何かが旨く行かなかったのかもしれない。
2015年にまだ建設中とのことだから、今も作るために頑張っているところだろうか。
金は本来、取引を便利にするためのものだった。
物々交換の世界ではイス作りの職人は、イスを農家が欲してくれなければ野菜を手に入れることができなかった。
そこで、お金を仲介させることで、イス作り職人は服職人からもらったお金を使って農家から野菜を手に入れることが、
できるようになった。
だけど、お金が流通して取引の主要対価として使われるようになると人と人とのつながりが減った。
それがどこまでもどこまでも細分化すると、人は自分のコミュニティーに対する貢献が見えなくなってしまった。
人と人とのつながりが希薄になった。
そして、不幸がまん延するようになった。
お金は悪だ。
これがマーク・ボイル氏の主張の一つ。
そして、貨幣経済と富への競争がもたらす地球破壊。
気候変動、資源の枯渇、生物多様性への悪影響。
経済の仕組みでは人による付加価値は対価が認められても、地球がもたらす恵みそのものには値がつけられていない。
もちろん希少なものには価値がつく場合もあるけど、それは人間が手に入れることにコストがかかるから、という希少性。
地球が僕たちのために提供してくれている資源そのものには価値がつけられていない。
これがマーク・ボイル氏のもう一つの主張。
そしてたどり着いたのが、金なしの生活。
考え、生き方は素晴らしいと思う。たとえ、やっていることがゴミ漁りだったとしても、
ゴミを利用して生きていけるなんてすばらしい。
一つの疑問は、こうした取り組みが果たして人類の活動にどれだけ善の影響を及ぼせるのか。
世の中には70億人がいる。
現在は人口爆発の真っただ中。
2050年には人口は100億人を突破すると言われている。
先進国の人口は今後もあまり増加せず、12億人程度。
人口増加は主に発展途上国で起きている。
現在多数の人口を抱えているのも、今後増加するのも発展途上国。
発展途上国の人口は既に50億人を超えている。
この人達の大半は、地球環境とかそういうことを考えて生きていない。
まず、生きることで精一杯、自分の生活を向上させることで精いっぱい。
地球にやさしい生き方をしよう。
そう言っているのは主に、過去発展途上国を踏み台にしてこの世の春を謳歌してきた先進国の人達だ。
その中のごく一部の人達が、環境負荷のあまりかからない(とは言ってもゼロにはなり得ない)生活をしたとして、
その横で爆発し続ける人口とその人達が消費する地球資源の勢いに、何がしの好影響を与えることができるだろうか。
一言で言えば、焼け石に水。
としか僕には思えない。
環境を大切にする、地球の資源を大切にする、そして地球で生きる全種族を大切にする。
そういう考え方を生き方に取り入れると、人はベジタリアンになる。
ベジタリアンがどのくらいいるかは、マーク・ボイルのような思想をもった生き方をする人がどれだけいるかの、
良い指標になるのではと思う。
じゃあ、ベジタリアンはどのくらいいるのだろうか?
日本ベジタリアン協会のQ&Aでは、以下のように回答されている。
「英国ベジタリアン協会は英国民の16%が広義のベジタリアンと公表しています。
2005年のロンドン大手ケータリング会社調査によれば、ロンドン市民の約30%がそれに当たると言っています。
少し古いデータですが、90年代の米国ヤンケロビッチ調査のよれば、広義のベジタリアンは米国民の約15%、
AISリポートでは約20″%となっています。
日本では2003年に533名の大学生の調査があり、ノンミートイーターが9.2%でした
(日本ベジタリアン学会誌Vegetarian Research,4:17-22)。」
日本ベジタリアン協会
Hope for ANIMALSというサイトでは、日本のベジタリアン率が4.7%、ビーガン率が2.7%だと言っている。
Hope for ANIMALS
先進国では、現在の消費主導の生き方に疑問をもちはじめ、
実際に改善させようと活動する人達は少しずつ増え、一定の割合に達しているみたいだ。
特に日本人はそうしたことにあまり頓着ないから、実感が無いだけで、
世界の先進国では地球環境を真剣に良くしたいと思い、実際に行動に移している人達が増えているのかもしれない。
しかし、そうはいっても人類=発展途上国の人 といっても言い過ぎじゃない。
先進国は経済を牛耳っているとはいえ、人の数では少数派に過ぎない。
果たして、マーク・ボイル氏のような生き方を選ぶ人が増えたとして、金なし生活で豊かな人生を送れるのだろうか。
そもそもゴミ漁りをする人が大半になったら、ゴミ浅りが成立しない。
ゴミ浅りは、表世界での豊かな消費活動の結果生み出される小さな排出物に依存している。
消費活動なくしてはそもそも成り立たない行為。
お金を使わずに経済、つまり人の生きる営みを成立させられるだろうか。
まず、それだけの人をまかなうだけの食糧とエネルギーを地球が供給できるだろうか。
人は、地球だけでは成立しないくらい増えすぎてしまったのではないかと思う。
だとしたら一部の人が厭世的な生き方をしたとして、その横で依然として加速する破壊を止められるとは思えない。
マーク・ボイル氏の生き方は魅力的だし、カッコいいと思う。
でも、まず始めに発展途上国に基本的なインフラを整えて、
今いる人達が最低限度の文化的生活を営めるレベルに底上げすることは避けて通れないように思う。
そうすることで、さらに地球環境は悪化することは間違いない。
でも、それ以外に何が出来る?その次のステップにいくために?
地球環境を改善するためには、今いる人達を大量殺りくるすことがベストに決まっているけど、
そんなことが正当化されるはずがない。
まず、人の生活を豊かにすること、でもその間、地球環境の破壊は避けては通れない。
だったらできるだけ早くその世界を実現することが先決ではないだろうか。
これだともう手遅れなのかもしれない、でもそれ以外に進むべき道が思い浮かばない。
富める者から少しずつ意識の転換をすべきだから、マーク・ボイル氏の活動には大変意義があるように思う。
でも厭世的な生き方では解決できない部分があると思う。
それは、環境破壊抑制や生活の効率化、人口抑制のための大きなレベルでの技術革新や政策実行など。
僕には答えはわからない。
ただ、一つだけ言えることは、使う必要もないものを消費する必要はないし、出さなくても良いゴミは出さなくても良い。
そうした消費主導の経済に積極的に加担する必要はない。
確かに焼け石に水かもしれないけど、自分の生き方から改めること、
そういう考え方をもって、少しずつできることから行動に移すこと、
そうすることで、人は進んでいる方向を少しずつ、そして少しずつが集まって大きく軌道修正できると信じたい。
ぼくはお金を使わずに生きることにした [ マーク・ボイル ]
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