深夜特急といえば、貧乏放浪旅行する日本人のほとんどが読んでいるのではないかと思われる、バックパッカーのバイブル的位置づけの本。
猿岩石の旅もこの深夜特急にヒントを得て企画されたものらしい。
なぜ、深夜特急がそこまでの位置を占めるに到ったのかはわからない。それでも人気だったのだ。
そこには放浪の旅を夢見させる何かがあることは間違いない。
僕もかつて長期旅行に出かけたとき、出発直前に友人にその本をもらった。
長期旅行の出発点が香港で、沢木耕太郎の旅の出発点も香港だったから、
出発したてで寂しかった僕は貪るように読んだ。
そして、実際に本に書いてあった場所に行ってみたりした。
ものすごい喧騒とカオスな場所として紹介された廟街と呼ばれる場所に夜中にたどり着くと、
ガランとした薄暗い通りにチラシが風でヒラヒラと舞っていた。
ここが、その廟街かと逆にものすごく驚いたことを鮮明に覚えている。
アバディーンには船上生活者が無数にいると本には書かれていた。行ってみても、どこにもそれらしき船は見当たらなかった。
僕が見ている場所は全然別の世界なのではなかろうかとすら思えてくる違いっぷりだった。
結局、深夜特急は貰った始めの2,3巻(単行本)は読んだけど、その後を読むことはなかった。
それは沢木耕太郎が繰り返し繰り返し香港が最高だったと、行く先先で香港と較べることにうんざりしたからだった気がする。
僕はそんな素晴らしき香港がここまでガッカリな変貌を遂げていることに落胆を覚えたのでその先を読むことに嫌気をさしたのだ。
今の人たちが、深夜特急を読んで何を感じるだろうか。香港は小綺麗な街になっている。
街の描写はまず信用ならない。古典のようなものだから。そこから旅人が得ることができるのは果てしなく長い放浪のロマンといった抽象的なものだろうか。
さて、沢木耕太郎が深夜特急を書くまでの経緯や、深夜特急で語られる物語の秘話、後日談、旅についての思いなんかを改めてまとめたのが本書。
言わば、沢木耕太郎が旅について書いた集大成的な本である。
カバー袖の文章が心に留まった。
<あるとき、老齢になられた外国文学の研究者が、誰にでも一世一代の旅というのがあるらものらしい、と語っていたことがありました。
もし、私がその「一世一代の旅」を翻訳すれば「取り返しのつかない旅」ということになるような気がします。良くも悪くも取り返しがつかない。
それは、もうそのような旅は二度とできない、ということを意味します。私の『深夜特急』の旅も、たぶん「取り返しのつかない旅」だったのです。>
沢木耕太郎にとっての旅とは大槻文彦が「大言海」で記した次の定義になるという。
<家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト>
驚くことは、深夜特急を書いたのは実際に旅をしてから10年も経ってからのことだった。
さらに第三便が発売されるのはその6年後らしい。
旅中でのノート、4人の人に宛ててかいた手紙などから当時の記憶を蘇らせて、書いたものだという。
それでも現在進行形でその場を旅しているかのような臨場感が出せているのは沢木氏の文章力によるところなんだろう。
彼は必要ないときはガイドブックを持たずに旅をするという。深夜特急でもガイドブックを持っていなかった。
その理由は、全行程にわたるガイド・ブックがなかったから、重くなるから、
そして、ガイド・ブックに従って歩くというのが、なにかつまらないことのような気がしたから、だそうだ。
「できるだけ素のままの自分を山に放ちたいんです」という山野井泰史という登山家の言葉に通じるものがあるという。
そっちのほうが面白いから。
僕も、旅するときは何の気なしに地球の歩き方を携帯してきたけど、
そうするとついついやることが無くなったときは、本で紹介される地をなぞるような旅行になって、結果がっかりすることがある。
つまらないのだ。そういう旅は。そこに載っている当たり障りの無い観光地は。
みんなと一緒にスタンプラリーをやっているような感じ。そこには感動もなければ発見もない。ただ、行ったという微かな満足感だけ。
沢木氏は、乗合バスが今でも好きらしいが、夜間には決してバスに乗らないらしい。
それは夜に乗ると一本の線としてつながっている感が失われてしまうからだという。
でも、夜に乗ると効率的なんだけどな、、。いや、効率を考え始めては行けないのか、放浪の旅では、、。
沢木氏は、旅にも適齢期があるという。
「歳をとってからの旅は、大事なものを失わないかわりに決定的なものを得ることもないように思えるのだ。
二十代を適齢期とする旅は、やはり二十代にしかできないのだ。
だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代のときにしておいた方がいいと思うのだ。」
そうだと思う。そして、大切なのはその旅がどんなに素敵で忘れられないものだったとしても、次に進むこと。
結構、そういう強烈な経験は尾を引く。そして、それはあまり建設的なものではない。
『人は、深く身を浸したことのある経験から自由になるのに、ある程度の時間を必要とするものらしい。
あの旅ほどの徹底性を持たないそれ以降の旅には、常にいくらかの不満が残ることになったのだ。
「深夜特急」の旅とは別の、まったく異なる種類の旅ができるようになったのは、ごく最近のことである。』
これは沢木氏がようやく出した第三便のあとがきの言葉。
第三便を書くまで、旅が内部で生き続け、生々しくうごめいていたという。
「深夜特急」として命を与えられることで、自分の中でようやくその旅は死を迎えることができたと。
だとしたら大変なことだ。
たった一年程度の旅が、その後、10年以上影響し続け、さらには人生までも変えてしまいかねないのだから。
僕も同じだった。でなければ、今、香港にいない。
沢木氏が旅という学校で学んだことは「無力さの感覚」だったそうだ。
これも僕も同じだった。長期旅行する中でとことん自分が無力であることを痛感した。そしてそのせいで旅行が嫌になった。それでもその頃の旅行を忘れきれずにいた。何かが心に引っかかっていたことは間違いないのだけど、それが何かはわからない。
もしかしたら、僕の旅の経験も少なからず沢木耕太郎の「深夜特急」に影響を受けていたのかもしれない。
そうではなく、「深夜特急」が旅する人たちが皆抱く、内面の葛藤や思いを巧みに描写しているのかもしれない。
だからこそ、その本は、多くの人の共感を得て、多くの人を旅に誘ってきたのかもしれない。
僕も10年近く経って、ようやく最近、「旅という病」から治ることができそうな気がする。
旅する力 [ 沢木耕太郎 ]
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