やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。坂爪圭吾

この本はポエム。

坂爪氏は、家なしで生きている人らしい。

僕は、新しいライフスタイルに興味を持っている。

日本は「日本人かく生きるべき」というレールが固まりすぎている。

本当は人間の生き方なんて多様であっていい。

サラリーマンだけが人間の生きる道ではない。

小学校、中学校、高校、大学、就職、結婚、子育て、マイホーム、老後

だけが人生の道ではない。

十人十色であっていい。

今、やっとそのことに気づき始めた人が増えてきている。

やっと。

坂爪氏は、いち早くそうした人生の一歩を踏み出した人であったらしい。

そしてブログが評判になった。

こういったポエムを書くことになったのは、その延長線上か。

僕は、坂爪氏がどういう人生を歩んできたのか、詳しくは知らない。

なぜなら、このポエム的本にはあまり坂爪氏自身の具体的なことは書かれていないからだ。

型にハマって閉塞感のある生き方をしている日本人の否定と、考え方の転換、エール。

これが延々と続いていく。

適当にやってても生きていける。俺がその証だ。

坂爪氏はそういう。

始めは、なるべくしてなった貧乏生活。

変えようと思えば変え方はいくらでもあった。

今、彼は、多少なりともお金を持っているのだろうか?

もし持っていたとしたら、何に使うのだろうか。

もし持っていなかったとしたら、何に使ったのだろうか。

僕もサラリーマンを捨てた。捨てて、なんとかなるってことを身を持って知った人間の一人である。

だから、坂爪氏の励ましは別に僕には必要なかった。

まだ一歩踏み出していない人たちに向けて書かれた本。

僕は思う。

そんな人たちに時間を割いてあげるって、坂爪氏って優しい。

だって、そんな人たちどーでも良いじゃん。

やりたいことをやって生きていると言って憚らない坂爪氏。

この本を書くことは、やりたいことなのか?

通り過ぎた過去の悩み、思考、それら全てを含む自分。

そういったものは、通り過ぎてしまったあとは、どうでもいい。

僕はそういう人間である。

感傷に浸って振り返ることはあまりない。

だから、レールの上の考え方や人生など忘れてしまっているし、そんな人たちに時間を割こうという発送は起こらない。

自分の最高に自由な人生を生きているはずなのに、不自由な人たちのために本など書いていたら、その時間は不自由でつまらないものにならないだろうか。

本当に楽しく、その瞬間瞬間を自由に生きているのなら、ポエムなんか書く気には到底ならないのではないか、と僕は思う。

結局、このポエムは坂爪氏が坂爪氏自身のために書いている激励文ではないのか。

今の生き方を必死で肯定するために。

疑いや迷いの感情を抱かないために。

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