タイトルのとおり、ブラック企業の実態を紹介する本である。
2009年出版、ブラック企業という言葉が一般的に使われ始めた頃に書かれた本だ。
いまやブラック企業は日本語として定着しすぎており、辞書に載っていいレベルだろう。
ようは劣悪な労働環境を強い、従業員を酷使する会社である。
恵比寿半蔵さんはどういう人か。
早稲田卒業。大手就職情報会社勤務後、就職アドバイザーに。
求人広告、採用広告評論家としても活動しているらしい。
ブラック企業にとても関心が高く、著書の多くはブラック企業に関連するものだ。
ブラック企業関連の書籍は一般的にも注目が高いのでそれなりに売れるのが理由かもしれない。
公式ブログ
恵比寿半蔵的思考と行動。
本書ではインタビューから色々な業種の仕事が紹介されている。
以下、紹介されている業種
事業者金融、リゾート物件販売、先物取引会社、私立高校教師、バス運行会社、パソコン教室、電器メーカー、
消費者金融、シロアリ駆除会社、零細出版者、広告代理店、催眠商法会社、大手ファストフード店、浄水器の訪問販売、
英会話学校、印刷会社、自動車メーカー、IT企業、製薬会社、メガバンク
名前を聞いただけでやばそうな香り漂う。
しかし逆にこうも思う、じゃあブラック企業じゃない会社って何なんだろう。そんなもんがあるのかな?
確かに紹介されている会社はブラック企業の定義に当てはまるんだろう。
だけど、どの会社でもブラック企業になる余地はある。
ホワイト企業の中にもブラックな部署がある可能性はあるとは恵比寿さんも言っている。
では、ブラックとはそもそも異常なことではなくて、社会で生きていくうえで当たり前の一般的なことなんじゃないだろうかとすら思えてくる。
ブラック企業の主要KPI(Key Performance Indicator)は三つあるようだ。
①激務度
②薄給度
③悪質度
めちゃめちゃ急がしい上に、給料は少なく、やっている仕事は仁義のかけらもない悪質なものでやりがいが無いとなると晴れてその会社はブラック企業として公に認定されるらしい。
ブログで恵比寿さんが言っているブラック企業に欠けているものとは、
①やりがい
②上司との信頼関係
③未来への希望
の三つだそうだ。
僕はこれは一つにまとめて「やりがい」でいいんじゃないかと思う。
上司の信頼関係も、未来への希望も突き詰めれば「やりがい」を損なうものである。
「やりがい」が見出せないのは、業務が悪質な詐欺まがいのものだったり、
本心と違う振る舞いをして客を説得しなきゃいけなくて良心の呵責に苦しめられるためであったりする。
業務自体に意義を見出せないということもあるかもしれない。
これに、激務、薄給と待遇の悪さが重なると、そこは劣悪な労働環境でしかなくなり、ブラッキーになってしまうのだ。
人なんてものは単純なものだ。
「やりがい」なんてものは人に感謝されるか否か。感謝されれば幸福を感じ、明日への活力が生まれてくる。
自分だけがよければいいなんて思える人はあまりいない。
詐欺まがいのことを繰り返していると、精神が病んでくるのは至極全うなこと。
しかし、世の中、どれだけ心から態度まで一貫して誠心誠意、自分の正義に反せずに働ける職場があるだろうか。
利幅が薄く、業績悪く、ノルマを課され、いやでも売りつけることを強要される。
理不尽であっても強い取引先には土下座でも何でもしなければならない。
他人を蹴落として、自分の身を守らなければ明日この席に座っていられるかもわからない。
そういった厳しい現実と向き合ったとき、良心などを保ち、気高く行動できる人は少ない。
自分の生活が大事なのは仕方がないことだ。
どこの職場にも少なからずこうした場面がないだろうか。
企業は営利目的で存在している。現実的に営利を得る手段は何も良心だけではない。
その一部になったとき、人は必ずしも良い人でい続けることを認められない。
ずーっと継続して安定的な利益を出し続けている優良企業なんて世の中少数派なのだ。
そんなとき、ブラック企業が醸成される環境が整えられる。
ポーターの5つの競争要因でも表されるように、
顧客、仕入先、市場の競合、代替品、新規参入によって企業は頻繁に脅威にさらされる。
そして、経済学的にいえば、過当競争が生じた業界では長期的に利ざやはゼロになる。
そんな業界で生き残るための手段は二つ。
業界を抜け出して独自性を新たな市場で獲得するか、価格競争に挑み続けるか。
後者を選択した場合、行き着くところは人材の搾取だ。
コストを限りなく削減した企業が最も容易に、イノベーション無く実現できる延命措置は、
人をできるだけ少ない給料で長時間働かせて、こき使うことである。
このとき、人は経営者にとって単なる資源の一つでしかなく、機械や部品と変わらない。
機械や部品が仕事に満足しているか、人生を充実して生きているかを考える工場長なんていないだろう。
ただムチ打って壊れるまで動かせるだけ動かし続けるだけである。
経営者の立場になると共感してしまう部分もある。
日々、会社を存続させていくだけで、精一杯。明日にも赤字に転落するかもしれない。
従業員はコマだ。会社に利益をだしてこそ、俺のために価値を生み出してこそ存在意義がある。
貢献もしていない従業員などに生きる価値はない。
そして、余裕の無い経営者は、成果を出しておらず給料だけはぬけぬけと貰う従業員を泥棒のように見るようになる。
叱責、罵倒、悪態、暴力。不安に助長された怒りの感情は爆発する。
経済は新陳代謝を繰り返して発展していくものだ。
そこには潰れる会社があれば、新しく生まれ、成長する会社もある。
学問の世界ではこれらはスムーズに進むはずだが、
現実世界はそうはいかない。
終わった業界の会社でも何とか延命しようとする。
社員のスキルもフレキシブルではない。首になったからといって新しい業界に簡単に移れる人材なんかいない。
そこにはたくさんの苦しみがある。
転職するくらいなら、今の会社でできるだけ頑張るほうがまだ楽かもしれない。
こう考えるのが人間なのだ。
自分も従業員も含め不幸な人を増やしても世の中になんの意味もないだろう。
経営者として、ブラック企業に自分の会社を陥らないようにするにはどうしたらいいか。
①変化に対応できる企業風土を確立すること、できない業界なら会社を気持ちよく清算する覚悟をもつこと
②人は機械ではなく、従業員にも生活があり、家族があり、一生に一度の人生を生きていることを理解すること
③「やりがい」を与える会社であること。それは人から努力と革新、変化を自然と生み出すものである。
従業員としては
①勉強し、変化し続ける自分であること
②世の中を広く知り、自分の業界、仕事に未来があるのかに敏感になること
これ、ブラック企業で酷使されているときは非常に難しいだろうけど、それでもやらなきゃ変われない。。
ブラック企業は、経済社会のひずみから生まれるべくして生まれ続ける。
だけど、せめて僕の周りからは減らして生きたい。
そして少しでも幸せの総量を増やして生きたい。
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