国防の常識 鍛冶俊樹(かじとしき)

鍛冶俊樹:1957年生まれ。軍事ジャーナリスト。1983年埼玉大学教養学部卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、主に情報通信関係の将校として11年間勤務。
1994年文筆活動に転換、翌年、論文「日本の安全保障の現在と未来」で第一回読売論壇新人賞を受賞。
筆者は日本の国防体制に相当な危機感を持っているらしい。
本書も国防の観点からみた日本の脆弱性に警鐘をならしている。
国家は主権、領土、国民の三つの要素からなる。
従って国家を防衛することは、必然的に主権を防衛し領土を防衛し国民を防衛することになる。
一言に防衛と言っても、さまざまな観点からの対策が必要となる。
攻撃や物理的侵略、はたまた災害などから人民をまもる国民防衛。
防御の要となる自国の資金を増やし、敵の攻撃を弱体化させるための経済防衛。
戦略を有利に進めるための情報防衛。
自分たちのアイデンティティを維持するための文化防衛。
そして、実戦力としての軍事防衛。
本書を読んでいると確かに、日本は危機意識が希薄である考えさせられる。
戦争は外のことで遠く、
テロは日本国内では非現実的で、
災害ですら、想定の範囲外。
日本人はお人好しすぎるのかもしれない。
自衛隊は、人助け部隊みたいになっている。
各国が自分たちの国家を守り、拡大しようと画策し、世界的な影響力、地位を高めようと日夜暗躍し、
時には武力行使をちらつかせ、睨み合っていることを忘れがち。
実際にはいつ戦争が起きてもおかしくない状況である。
ひとたび戦争なんか起きようものならひとたまりもない。
しかし戦争は、日本人からしたら映画の中のできごとみたいなものだ。
諸外国には依然として国家総動員法や、徴兵制が制度として残っているという。
今は実行されていないが、有事の際には発動できる体制が整っている。
軍隊も大きな権限を持っており、然るべきときには必要なリソースを確保できるようになっている。
一方、日本には軍隊が無いことになっている。
自衛隊は本質的に権限をもたず、具体的な防衛行動を満足にとることもできない。
戦前の全てを否定され、占領下で作られた憲法の文言で身動きとれず、諸外国と交渉もできない。
経済的に超大国である日本が、軍事的にはここまで脆弱なのはある意味異常と言える。
そんなお人好しであることを、良しとする風潮すら我々の中にはあるような気がする。
お人好しがいじめられたら、みんな助けてくれるだろう。
周りの国々もいい人たちで味方だと盲目的に信じていやしないか。
それぞれの国家はそれぞれの利益のために動いていることを忘れていやしないか。
こうした状況を打開する著者の見解は、「防衛省を総力戦体制を確立すること」だそうだ。
防衛省は24万人の陣容、予算規模4兆7千億円を擁しながらあまりに権限が弱い。
また、その中でも、防衛官僚、他省庁出向者、陸、海、空、統幕、在日米軍という派閥がひしめき合っていて纏まりがなく組織としての統率がとれていない。
従って以下のように再編するのが良い。
海上自衛隊、海上保安庁、水産庁(海洋権益担当の官庁)→海洋省
理由:海上自衛隊だけでは権限もなく、海賊逮捕すらできないため
航空自衛隊→国土交通省に編入
理由:航空管制権を一つに纏め、権限を強化するため
陸上自衛隊、警察庁→総務省に合併
理由:警察庁は直属の実働部隊を持っていないため。警視庁、警察本部は地方公務員で国家公務員ではない。
一方で、都道府県を監督する総務省であれば権限を有効に機能させられる。
統合幕僚監部→首相直属に
理由:指揮命令系統を明確にするため
防衛官僚→各省庁に国防局を設け、そこに配置
理由:防衛には各省庁が連携する必要があるため。
しかし、この世から戦争や武力なんてものが消えてしまえば、もっとお金やリソースを有意義なことに使えるのにね。
守るための出費は平和な世の中さえあれば必要ない。
そんなことを考える時点で、平和ボケしすぎているのかもしれないけど。

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