入山章栄(Iriyama Akie)
1996年慶應義塾大学経済学部卒業。
1998年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。
三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後、
2003年に同社を退社し、米ピッツバーグ大学経営大学院博士課程に進学。
2008年に同大学院より博士号(Ph.D.)を取得。
同年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールのアシスタント・プロフェッサーに就任し、現在に至る。
専門は経営戦略論および国際経営論。
それなりのキャリアを積んできた人にとっては、MBAは一度くらい考えたことがあると思う。
MBAとは、Master of Business Administrationの略称で、経営学修士号を意味する。
ビジネススクールと呼ばれる経営大学院で、通常1~2年の間に必要な単位数についてある一定以上の成績を修めることで取得できる。
日経Bizアカデミーより
日経Bizアカデミー 第1回 MBAとは何か、MBAでは何を学ぶのか?
ビジネススクールは経営の実務家を養成することを目的としており、
MBAでは経営に必要な幅広いテーマを学ぶことができる。
さらに日経Bizアカデミーによると、、
「ビジネス社会を動かす経済力学を理解するためのマクロ、ミクロの経済学とそのルールを規定するビジネス法、その中に存在する企業とヒトの行動を理解するための組織行動学、組織にとっての経営資源であるヒト(人的資源管理)、カネ(ファイナンス、会計)、モノやサービス(オペレーション、マーケティング)、情報(インフォメーションシステム)、そしてそれらの経営資源を数量的に把握するための土台となる数量的分析、さらにそれらをどのように組み合わせて成果をあげるかといった戦略(ストラテジー)といったマネジメントに関する全般的な内容でMBAプログラムは構成されています。さらに海外でどうビジネス展開していくかという国際ビジネスといった科目があります。」
本書でもビジネススクールで学ぶ内容は以下のように紹介されている。
・会計学(Accounting)
・ビジネス経済学と公共政策(Business Economics and Public Policy)
・ファイナンス(Finance)
・ヘルスケア経営(Health Care Management)
・法学とビジネス倫理(Legal Studies and Business Ethics)
・経営学(Management)
・マーケティング(Marketing)
・オペレーションと情報経営(Operations and Information Management)
・不動産学(Real Estate)
・統計学(Statistics)
経営学の修士号といっても、MBAで学ぶのは経営学だけではない。
それでも経営学修士号なわけだから、経営学は学ぶことの根幹になるはずだ。
MBAは出世の登竜門的に考えている人が結構いるし、
もう世の中にMBA保持者が溢れすぎて価値が下がったと言われて久しいけど、
それでもやはり、MBAを持っていることは出世や転職において重要になることがあるらしい。
香港の金融系で働いている友人達も、できるなら行ってとりたいと言っている。
もっともそれは、そこで学ぶことに価値があるというより、
MBAに行かせてもらえるくらい社内で評価されたい、ということにあるようだが。
MBAを考えた時、そこで学べることを本当に仕事で活用できると信じている人なんてほとんどいないだろう。
むしろ、そんなすがる気持ちで行く人がいるなら行かないほうがいいかもしれない。
MBAで得られるものはそのタイトルだけ。
それは東大卒という肩書や、難しい資格みたいなもの。
自分が思い描くキャリアで、そのタイトルが必要となるか、それだけが判断基準。
僕は二年間もの時間と、数千万の金銭的機会損失を使って、机上の勉強をしにいくことに価値があるとは思えなかった。
肩書によって得る人生なんて糞くらえだと。
自分の肩書は自分で作るものだと考えている。
そして、この本を読んで改めてその考えが強くなった。
筆者は言う、「経営学には教科書がない」
それは、「世界の経営学は科学を目指している」段階だから。
経営戦略論を確立した第一人者であるマイケル・ポーターが「競争の戦略」を出版したのは1980年。
まだ生まれたばかりの学問で、確固たる理論体系が存在しない。
そしてそれを確立するためにたくさんの研究者が日夜格闘しているのが経営学。
現在、経営学には主に三つの理論ディシプリン(流派)があるらしい。
①経済学ディシプリン
「人は本質的に合理的な選択をする」という仮定を基礎におく。
マイケル・ポーターはここ
②認知心理学ディシプリン
その理論の始祖は1978年ノーベル賞経済学賞を受賞したハーバード・サイモン教授。
古典的経済学が想定するほど人は合理的でなく、それが組織の行動にも影響を及ぼすと考える。
③社会学ディシプリン
組織と組織がどのように「社会的に」相互作用するかを考える学問。
ディシプリンによって企業の捉え方も変わってくる。
経営学には四つの視点がある。
経済学の視点から「効率性」を考える場合、
企業は「市場取引ではコストがかかりすぎる部分を組織内部に取り組んだもの」と定義される。
また、「経営資源」をみれば
企業は「経営資源の集合体である」と定義される。
認知心理学の視点から「アイデンティティ」を捉えれば、
企業は「経営者や社員がアイデンティティやビジョンを共有できる範囲のことである」と定義される。
社会学の視点から「パワー(競争力、あるいは交渉力?)」を重視した場合、
企業は「パワーの集合体」と定義される。
その研究対象である企業についても一貫した定義が存在しないのだ。
そこで繰り広げられる研究は四方八方に拡がり続け、まとまらない。
著者は現在の経営学には三つの主要な課題があるという。
①研究者の理論への偏重(奇抜な理論を確立したほうが学術誌に載りやすいため)が、経営理論の乱立化を引き起こしている。
②おもしろい理論への偏重が、重要な経営の事実法則を分析することを妨げている。
③平均にもとづく統計手法(統計による分析では通常、平均的傾向があることを証明する)では、独創的な経営手法で成功している企業を分析できない可能性が残る。
経営学の研究成果は、ちゃんと学べば何らかの示唆を僕らに与えてくれる部分もあるんだろう。
だけど、それは結果のお話にすぎず、日々刻々とダイナミックに変わるビジネス環境での意思決定を委ねるだけの価値が果たしてあるのだろうか。
無い、少なくとも現時点では。
まだ、そこまで経営学は体系化されていない。理論として確立していない。科学として成立していない。
そもそも人間の組織の話に決まった解など存在するのだろうか。
多種多様な企業に普遍的に適用できる手法などがあるのだろうか。
それはある種の大先輩がいう成功論と何か違うのだろうか。
自分自身の企業に過去の成功体験が適用できるとどうして確信をもって信じられよう。
人、という存在ですら理解するのが困難なのに、
その集合体である企業というものを一律に定義することなど到底無理だと思う。
何より何十億人もいる人に対して、企業の母数も歴史もまだ浅すぎる。
そして人は時代が変わっても大きく変化しないけど、
企業のあり方は変わりすぎる。
理論は多少の参考にはなるかもしれない。
でも、結局判断の材料にはならない。
著者は、実社会に戻ったMBAホルダーの多くが、ビジネススクールで学んだことを実務であまり使っておらず、
以前と変わらず自分の経験や勘で意思決定していることを紹介している。
居酒屋トークを超えた真理を見つけ出すことが経営学。
だけど、まだ居酒屋トークの域を出ていない。
経営学の理論だけに基づいて会社を成功させることができるか、
是非、経営学者の方たちに実証して頂きたい。
ようは、世の中、正しい経営の在り方などというものは未だ存在していないし、
この先も当分存在しそうにない。
事業に従事する人たちは、すべからく悩み、自分なりの決断を下していかなければならない。
何か、経営には正解と呼べるものがあるかもしれない、そんな期待を気持ちよく打ち消してくれた本書は、大いに勉強になった。
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