死ぬ前にも地獄がある 夏地弥栄子(なつじ やえこ)

生物として避けがたい必然的な老化という事実を、私たち一人一人がどのように受け止めていくか、
自分自身の生き方そのものを自覚せねばならないだろう。
きれい事でなく、建前でなく、生きるとはどういうことか、まっすぐに見つめながら、
この一度きりの人生、たった一つの生命を、たくましく明るく全うしたいものである。(本書「はじめに」より)
父は78歳になりますが、痴呆になって5年、家族みんなを困らせ、疲れ果てさせています。
父は長年、校長として教育界で仕事をしていました。
厳しい中にも優しく、家の中でも尊敬され、慕われ、心強く頼もしい存在でした。
教育者としてというよりも一人の人間として、多くの人によい影響を与えた人でもありました。
それが、運命というものほど残酷なものはありません。
あの輝かしかった父がぼけてしまうなんて夢にも想像していませんでしたし、幸福だった家族が、
この父のために苦しみもがくなんて思いもよらなかったのです。
私の夫に向かって、「お前はどこのやつだ。飯を食うなんてとんでもないやつだ。出て行け!」とどなったりする。
ぼろぼろの服をまとい、裾なんか糸くずのように垂れていても、家族がさわると暴れ回るのです。
垂れ流しはいつものことですから臭気も激しく、これが、ほんとうにあの父なのだろうか、
家族の誇りだった父なのだろうか、と目を見張るばかりです。
父に食事をさせるのも、入浴させるのも、すべてが大騒ぎで地獄絵なのです。
父はもはや自分自身もわからず、相手もわかっていません。これで人間なのでしょうか。
これで生きていると言えるのでしょうか。
家族たちがくたくたになって黙って顔を見合わせるとき、お互いの思っていることが同じであり、
口にこそ出さないけれど、わかりすぎるほどわかってしまっている感じです。
それは、父になんとか早く死んでほしい、その思いから、
いっそ殺せるものなら殺したいと思っているに違いないのです。
変わり果てた父、昔のおもかげすらないような父。
その姿は私たち家族を苦しめ続けているのです。
父はすでに死んでいるのです。
あの優しく強かった、私たちの誇りであった父は死んでしまったのです。
私は父とともに死のうと思いました。
それ以外に家族や父が助かる道はないと思い込みました。
こんな姿で父は何年生きていくのでしょう。
なんのために生きていくのでしょうか。
これは本書で紹介されている数多くのエピソードの一つである。
この本は1995年10月20日に当時72歳だった夏地弥栄子さんによって書かれた。
京都府城陽市市議会議員でもあった彼女は、日本尊厳死協会と出会い、
自らも、尊厳死のことを多くの人々に考えてほしいと尊厳死について考える「グループ夕映え」をスタート。
創作舞踏の会で、老人ホームや障害者施設を訪問し、笑いと元気を与えながら、
高齢者問題に明るく取り組んでいきたいと願い、活躍された。
尊厳死とは、死が疑いようもない状況になったとき、
無駄な延命治療をせずに安らかに眠っていく選択をすることである。
しかし、この本には痴呆についての実態が多く書かれていた。
夫も子もわからなくなり、糞尿を垂れ流し、壁に塗りたくり、わめきちらす呆けた母。
仕事の傍ら介護を続け、心身共に疲れはて、倒れて老人よりも先に亡くなってしまう妻。
介護施設に入れられ、なにもしゃべれず、うごくこともできなくなり、
ご飯を強制的に流し込まれ、下半身をむき出しにされておむつを交換される友人を見て、
自分のすぐ近くの未来を恐れるおばあさん。
親の介護をめぐって押し付け合いをする兄弟姉妹。
今まで中が良かったのに莫大な介護費用の問題で心がバラバラになってしまう家族。
そんな物語に数多く向き合ってきた夏地さんは、それでも明るく元気に
笑いいっぱいで生きていこうと励ましてくれる。
この本に出てくる老人たちは、ガンよりも、病気よりも、死ぬことよりも、
呆けて、自分として生きられなくなること、人に迷惑をかけること、人としての尊厳を失うことを恐れていた。
高齢化社会になる。
それはわかりきったことだけど、それがどういうものか本気で考えたことがなかった。
それは一人の若者が、一人の老人をおんぶして生きていく世の中である。
人の寿命は長くなるだろう。医療はどんどん発達している。
だけど、人が人として生きていられる時間が長くなるには、まだまだ時間がかかるだろう。
体の寿命は医療で治せるけど、呆けは治せない。ある日突然襲ってくる。
むしろ呆けても生かされる時間が長くなるだけかもしれない。
寿命が100年になることが果たして幸せだろうか。
呆けた状態で世の中に20年も余計に迷惑をかけることが果たして幸せといえるだろうか。
人が人として世の中に貢献できる時間は長くない。
そして、誰かの役に立てていると実感できて初めて、人は生きることの喜びや幸せを感じることができるのだと思う。
高齢の方々の気持ちが少しわかった気がした。
若者からは厄介者扱いされることがある。
だけど、誰よりも誰よりも自分が一番苦しいし辛いのだ。
誰かの役に立てずに、迷惑をかけることが、辛いのだ。
人の命は長くなったからこそ、それだけ、人はどのように生きて、どのように死ぬべきか。
どのように死ぬべきかさえ、考えなければならなくなったのだと思う。
動物であることをやめた人間だからこそ、死ぬことに向き合わなければならないのだ。
これからはもっと死ぬことを議論しなければならいだろう。
そして、それから、今、どうやって生きるべきかを考えるのだ。
それをして初めて、この複雑になってしまった、人としての生を全うできるのではないかと思う。
自分は別の日に、年収300万円くらいあって、楽しく生きていければそれでいいと書いた。
でもそれは間違いだった。
10年後には僕の両親も高齢者になる。
介護が必要になる。
そのとき、僕は彼らを病院に押し込んで忘れてしまうのだろうか。
僕は一人ではなかった。一人だけ生きていけばいいわけではなかった。
たくさんの人のお世話になって育ててもらって、
いま、ここにこうやって生きていることができている。
僕の人生は僕だけのものではない
もし、誰かのために生きるのならば、お金が助けになってくれることだってある。
自分が感謝し、助けたいと思う人を助けられるくらいの力はほしい。
そして、迷わず手を差し伸べられるような人になりたい。
高齢化社会はやってくる。
ものすごい重圧で若者にのしかかってくる。
人の感情を無視した言論もたくさん出てくるようになるだろう。
みんなで、どうやって生き、どうやって死ぬべきなのか、真剣に考えなきゃいけない社会になる。
おばあさんが呆け、自分も介護なしでは生きられなくなったおじいさんがいた。
娘たちは、それぞれが自分たちで二人を引き取りたいといい、そして励ましてくれた。
話がまとまったその夜は、子供や孫たちが食卓を囲んでにぎやかに、なごやかに過ごした。
その翌朝、おばあさんの首には電気コードが強く巻かれていた。
おじいさんは天井からぶら下がっていた。
みんなが心配してくれて、いっしょに暮らそうといってくれた。
幸福のうちに旅立つことができて幸せです。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
何度も感謝のことばが綴られた手紙が残っていたそうだ。

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