嫌われる勇気 岸見一郎 古賀史健

この本を手にとったのは、
ホリエモンが「自分が言いたいことがこの本にまさに書いてあった」と言っていたのが、記憶に残っていたから。

僕には自己啓発本とか、生き方本みたいなのはもう必要ない。

自己肯定感は十分あるし、生き方に迷っているわけでもない。

自分の生きる道は、自分で決めてるし、やりたいようにやっている。

でも、じゃあ、自分はどういう信念とか考え方に基づいて生きているか、
何を基準に、どう選択して、何に重きを置いて行動しているのか、
周囲に説明するとき、うまく言語化できない。
というか、かつてはしっかり言語化して、努力してその方向に来たんだろうけど、
当たり前になってしまうと忘れてしまう。

だから、こういう本を読んで、言葉による表現の仕方を確認すること、
体系化して整理することは大事だと思う。

僕にとって本書で紹介されているアドラーの教えは、目新しいものではない。
そこで語られる殆どは、すでに体に溶け込んでいて、今更感のある言葉である。
でも、そこに自分が至るまでの人生には沢山の苦悩があったんだろうと思う、もう昔のことなので忘れてしまった。

僕は自分の人生を選択している。
他人の評価は求めていない。自分の生を自分で全うしているだけ。
それは他の誰とも違う生き方である。
そのことを誇りに思っているし、他人の意見は参考にするが、それで左右されない。

幸せである。

他者と自分を比べもしない。劣等感などあろうはずもない。

承認欲求など微塵もない。
ただ、頓着なさすぎて、問題なこともある。
他人にどう見られるか、小綺麗な格好をすることは忘れないようにしなきゃ。

それは自分の考え、行動は自分で変えられると知っているから。

自分で変えられることに全力で取り組んでいるから。

そして他者に期待をしていないから。

他者の人生を尊重しているから。

それでも、一緒に生きる仲間が沢山いるから。

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」

アドラーは共同体感覚を持てと言った。

そこで必要なのが、自己受容、他者信頼、他者貢献の3つであると。

僕はすべて持っている。

共同体感覚はいつでも感じている。

アドラーの目標

行動の目標
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標
1.わたしには能力がある、という意識
2.人々はわたしの仲間である、という意識

別に当然のように僕は備えている。

この本に書いてあることは、僕はすでに身につけているけど、
こうして言語化されたものを読んで再確認するには良いと思った。

ただ、一点。

「いまを生きる」

その重要性はわかるけど、過去でも未来でもなく、今を生きろというのがよくわからない。

ホリエモンも同じことを言っていたが。

今しか見なかったのなら、

東大には行けない。
難関資格は取れない。
大きなプロジェクトを綿密に準備して成功することはできない。

やはりそこには何らかの計画なり、目標が必要であると思う。

別にそれを達成するかどうかが幸せの基準ではないというのはわかっている。

それを目指している途上ですら幸せであることは大切な考え方である。

しかし、先をみた時間軸なくして、今の行動は決められない。

だから、自分の自由な選択として先の人生や目標を決め、
そこに向かう今をしっかり生きることが大切、ということなのかな。

単純に今だけ見て生きているなら、単細胞生物になってしまう。

動物ですら冬を乗り越えるために多少の準備をしたりするのだから。

でも、幸せ=何かを達成すること

ではないことはわかっている。

そういう意味では幸せを追い求めるなら、「今」だけを見ていればいい。

今すでに幸せなら、幸せを求める人生においては、もう目標は達成されている。

何かを達成するために計画したり、準備したりすることは、幸せとは何にも関係ない行為である。

そういうのは、ただ面白くて、好きだからやっているだけ。

幸せとは違うけど、充実感や高揚感、達成感、快感といった別のモノを得るためにやっているだけなのか。

自分でもよくわからないが、計画して行動せずにいられない。

アドラーにこじつけていうなら、無意識により大きな共同体感覚を得るためにやっているのかもしれない。

すでに幸せであることに変わりはないが、もっともっと上質で大きな幸せを得るために。

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